文学部心理学科の限界 白人白子説 [IT業界日記]
岸田秀の「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」を読んだ。
岸田の考えでは「白人は、アフリカの黒人社会の中で差別された白子(アルビノ)の集団が、居住地を追い出されヨーロッパに移住したのであり、さらに、戦争で負けてエジプトに奴隷としてとらわれ差別され、ユダヤ人として同化し、そのユダヤ人の中でもさらに差別されたのがキリスト教徒で、そのキリスト教徒の中で差別されたプロテスタントがアメリカ人となった」
とのことで、同書では、 ベナールの「Black Athena」と、
それに対する反論を引用しながら、白人主体の西洋史に対する議論を検討していくという内容である。
岸田氏の「唯幻論」など、精神分析的見方の社会や歴史に対する論理展開は、なるほどと思う部分もあり面白い。ただ、そもそもの精神分析同様、典型的文系論理になっているように思われる。実証性には欠けるのだ。
そもそも、白人がなぜ色白なのか? 色素の欠落である白子/アルビノという極端を考えるまでもなく、単に日照量の少ない高緯度環境でのビタミンD不足に適応した結果に過ぎないであろう。事実、緯度の違いに応じて肌の色はおおよそ連続的に薄くなっているではないか。白人と有色人種という不連続性は無いのである。
考察に現象のモデル化は不可欠なのだが、モデルと現実を混同しさらに事実を元にした検証を怠っては既に学問とは言えない。
まぁ、考え方としてのおもしろさはあるとはいえ、サイエンスで説明可能なことをあえて「差別史観」で説明する意義あるまい。心理学科はいつまで文学部に所属させておくのだろうか。
岸田の考えでは「白人は、アフリカの黒人社会の中で差別された白子(アルビノ)の集団が、居住地を追い出されヨーロッパに移住したのであり、さらに、戦争で負けてエジプトに奴隷としてとらわれ差別され、ユダヤ人として同化し、そのユダヤ人の中でもさらに差別されたのがキリスト教徒で、そのキリスト教徒の中で差別されたプロテスタントがアメリカ人となった」
とのことで、同書では、 ベナールの「Black Athena」と、
それに対する反論を引用しながら、白人主体の西洋史に対する議論を検討していくという内容である。
岸田氏の「唯幻論」など、精神分析的見方の社会や歴史に対する論理展開は、なるほどと思う部分もあり面白い。ただ、そもそもの精神分析同様、典型的文系論理になっているように思われる。実証性には欠けるのだ。
そもそも、白人がなぜ色白なのか? 色素の欠落である白子/アルビノという極端を考えるまでもなく、単に日照量の少ない高緯度環境でのビタミンD不足に適応した結果に過ぎないであろう。事実、緯度の違いに応じて肌の色はおおよそ連続的に薄くなっているではないか。白人と有色人種という不連続性は無いのである。
考察に現象のモデル化は不可欠なのだが、モデルと現実を混同しさらに事実を元にした検証を怠っては既に学問とは言えない。
まぁ、考え方としてのおもしろさはあるとはいえ、サイエンスで説明可能なことをあえて「差別史観」で説明する意義あるまい。心理学科はいつまで文学部に所属させておくのだろうか。
2008-11-09 00:53
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コメント(4)
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えー,揚げ足取りかもしれませんが,
臨床心理は,認知心理学,生理心理学,社会心理学,
教育心理学,心理測定法など,沢山ある分野の一つであり,
そして臨床心理のなかでも,
“精神分析”は,いまではあまり教えられていません.
臨床心理は,メンタルヘルスと,カウンセリングを
主な研究/教育内容としています.
ということで,精神分析は,歴史的な文脈で
扱われていることがほとんどです.
また,
私は,心理学は理学であるので,
文学部にあるのは,不合理だとおもっています.
また,文学部に置いてある大学は
だいぶ減ってきました.
以上,心理学出身の石原でした
by 石原茂和 (2008-11-12 08:44)
ひろしさんの言いたかったのは,
考察に現象のモデル化は不可欠なのだが、モデルと現実を混同しさらに事実を元にした検証を怠っては既に学問とは言えない。
のとこだと思いますが,
まったくそのとおりで,いかなる学問領域でも,
それはあてはまります.
そんなものを論文に書いても,どんな学会でも載せてはくれません.
うえに書いたように,臨床心理学は,
ある種,非常に目的がはっきりしていますので
エビデンスのない研究には発表の場はありません.
また,レアケースで,たった1例しかケースが
なかったとしても,数多く研究が集まれば,
エビデンスとなるという考え方は
医学での考え方と同様です.
前にいた大学では,国文学科の先生方とも親しかったのですが,
国文学の研究でも,1次資料をあたりに国文学研究資料館に
でかけ,当時の別の作品や新聞資料などをしらべ,
それなりのエビデンスをつかまないと,仮説をたてて学会発表の1つもできません.
ということで,学問の厳しさ,厳密さは
どの学問領域でも同じだと私は認識しております
by 石原茂和 (2008-11-12 09:02)
し、失礼しました。
「考察に現象のモデル化は不可欠なのだが、モデルと現実を混同しさらに事実を元にした検証を怠っては既に学問とは言えない。」
は主な主な論点ですが
「どの学問領域でも同じ」
というのはその通りなのでしょうね。自ら「文系、理系」的モデルの単純化の現実への適用をしてしまいました。
読み物として見た場合、単純化した方がおもしろいという背景はあるのかもしれませんね。
by Hiroshi (2008-11-12 15:50)
いやいや〜,失礼はなにもないです.
あーだこーだ言い合うのが面白いわけですから.
それから,
読み物の恐さと難しさというのはありますね.
“素数の音楽”や,“数学ガール”のような
優れた読み物は,よほどのエキスパートでないと
作れないです.
わたしなんぞ,作れといわれても,
到底作れるとは思えません.
by 石原茂和 (2008-11-13 08:53)